島ネコになりたくて - 沖縄シマジマ徒然記 -68ページ目

宮古島回想記 その十

<2日目 つづき>

満腹で郷家を後にした私たちは、スタッフのお姉さんに教えてもらった通りに車を走らせたので、宮古島で初めて!道に迷わずに帰ることができた。感謝感謝。それにしても宮古の夜は暗い。市街地を外れると街灯の数も極端に減る。幹線道路を外れて農道に入るとますます暗い。二十数年前の子供時代の「夜」を思い出させるような闇の濃さである。

9時過ぎにコンドに帰着。今日はシャワーも浴びたし、もうやることないなあ、と歯を磨きつつボーっとTVを見ていたら、ちょうど「世界ふしぎ発見!」をやっていた。スペシャルで、その昔太平洋にあったという伝説の大陸「ムー大陸」のことをやっている。

イースター島をはじめ、南太平洋の島々に点在する巨石文明の痕跡は、かつてそこに大陸があったのではないかという想像をかきたてる。この手の話はもともと大好きなのだが、思わず身を乗り出してしまったのは、沖縄の与那国島が登場したから。与那国も巨石文化を特徴とする広大な「ムー文化圏」に含まれていたのではないか、という内容がちょうど紹介されていたのである。

ちなみに最近では、「ムー大陸」があったという説よりも、島々間の交流が非常に緊密な「ムー文化圏」がかつて存在し、それが南米からアジアにまで広がっていたのではないか、という説の方が有力らしい。小さい頃読んだ、「南米からイースター島へ渡った人々がいた」という自説を証明しようと身体をはって手作りのいかだで海を渡った探検家ハイエルダールの著書「コンチキ号漂流記」を思い出した。それにしても、昔の人は小船一つで海を渡り歩いていたなんて、本当にすごいなあ・・・。

与那国島には大きな石が積み上げられたような形の海底遺跡がある。ダイバーにも人気のスポットらしい。最近発見されたもので、人の手で造られた遺跡なのか、自然の造形物なのかは未だ確定されていないのだが、あの意志を感じさせる整然としたたたずまいは、やはり遺跡なのではないか(と個人的には思いたい)。

南の島で学ぶ、ご近所の島の伝説。この島々とそれを囲む海の長い歴史に思いを馳せながら、宮古2日目の夜は更けていったのである。

満足度:100%



著者: トール・ハイエルダール, 神宮 輝夫

タイトル: コンチキ号漂流記



「瑠璃の島」第3回

「瑠璃の島」第3回を見た。

色んな人の抱えている心の闇が混ざりあって、なんとも哀しみにあふれた1時間だったなあ、と思う。

東京から鳩海島にやってきた瑠璃の母親(西田尚美、はまり役!)。妊娠してしまって、その相手(大手企業勤めで、幸せな生活をさせてくれそうな相手)と結婚しようとしているその母親は、瑠璃を除籍したいという。その相手には自分が子持ちだと言っていないためだ。ひどい話だ。でも「私だって幸せになりたいのよ」という彼女の言葉を、なぜか完全に否定することはできない。心に残ったのは、怒りよりも、なぜか哀しみ。

でも皆いつか光をみつけていくんだろうなという予感がするのは、画面も光で溢れているからかな。太陽の光、海の光、月の光、家の光。

離島の厳しい生活の中で、どんなときも絶望してはいられないという島民気質も後押ししているのかも。

勇造さん(緒形拳)のキャラがいい。どんなときも一生懸命。それがたまにおかしいけど、みんな最終的に勇造さんを頼りにしている。

あと、川嶋さん(竹之内豊)のプロットも今後が気になるなあ。東京で親友との間に何があったんだろう。今日の回想シーンで、車椅子に乗ったらしきその親友に「この先生きてて何かいいことがあるってお前断言できるか?」みたいなことを竹之内が言われる場面があったけど、もしかして・・・。

宮古島回想記 その九

<二日目(つづき)>

まずお通しが。これが美味しかった。この日はカツオのお刺身にタマネギのスライスを添えたもの。宮古でカツオとは意外な感じがするけれど、実はお隣の池間島や伊良部島は南方カツオ漁の拠点なのだそうだ。新鮮で本当に美味しかった。

メニューは、頼んでから揚げ物が多いことに気づいたけど、どれも美味しくてペロリと食べてしまった。5品目の「海鮮苦菜バクダン」とは、卵の黄身、苦菜の刻んだの、納豆、山芋の角切り、海ぶどう、タコ、イカ、そしてカツオが大き目の器に入ったものが出てくるので、それをかき混ぜて醤油をかけて食べるものだ。これも魚介類が新鮮なだけにすごく美味しい。白いご飯にかけて食べても美味しいだろうな。

車で来ていたのでアルコールは頼まず、宮古島特産のマンゴージュースや沖縄らしいアイスウコン茶を飲んでいた私達だが、実は「代行」というサービスがある。これは、「車で来ていても安心してお酒飲んでくださいな。帰りは運転を代行しますから。」という何ともありがたいサービスなのである。沖縄では一般的なのだそうで、郷屋にもチラシがたくさん置いてあった。でもここからコンドまではかなりの距離。ちょっとお高くつきそうなので、泡盛大好きな夫もこの日は我慢。コンドに帰ったら古酒あるしね。

そうこうしているうちに19:30になった。ライブ開始の時間だ。ステージのまん前ではないものの、私達の席からもライブの様子が垣間見える。2曲くらい聞いたら帰ろうか、なんていっていたのだが、私達でも知っている「19の春」(「ナビィの恋」でおなじみ)やTHE BOOMの「島唄」などが聞こえてきたものだから、結局最後のカチャーシーの曲まで居座ってしまった。

スタッフの女性陣も元気よくカチャーシーを踊っている。お客さんより盛り上がっていたかも。(でも強要はされないので、シャイな方でもご安心を。)

とにかく居心地のよかった郷家。入るときとおんなじ、威勢のいい挨拶を背にお店を出たのであった。

「あぁぁりがとぉごザぃましたぁぁーー」

 
タイトル: ナビィの恋

宮古島回想記 その八

<二日目(つづき)>

「郷家(ごーや)」 は、昼の八重干瀬ツアーのガイドさんが薦めてくださったお店。三線民謡ライブもあるし、お料理もおいしいので、宮古島初心者には必ず薦めるのだとか。私達は前回は東急リゾートに宿泊したため、市街地での食事は初めてなのだ。

ちなみに、なぜ東急リゾート泊なんてリッチな旅ができたかというと、安かったからである。オフシーズン中のオフシーズンだったので、航空機+ホテル(朝食つき)+レンタカー込みで、価格は驚きの3万円台。冬場は天候が不安定だし、宮古まで行こうという人は多くないのだろう。現に、那覇までの便は満席だったが、那覇ー宮古はガラガラだった。でも晴れてさえいれば気温も25度近くまで上がるし(私達が行った前の週はそうだった)、ウェットスーツを着れば海も十分入れるし、このお値段はお得である。

さて、その郷家。入り口を開けたとたん耳をつんざくような威勢のいい声があがった。

「ぃぃらぁっっしゃぁいませぇぇぇーー」(イントネーションが独特なんだけど、文字で表現できないのが残念。)

ややビビりつつも、席が空いているか聞くと、三線民謡ライブのステージ前の席は既に予約でいっぱいだが、それ以外なら大丈夫とのこと。ライブの雰囲気は十分楽しめますよ、とのことだったので全然OK。落ち着いたテーブル席に案内される。

宮古島の無料情報誌「んみゃ~ち」や「宮古島タウンガイド」(空港やホテルなど、島の至るところで入手できるので、宮古島に行くときはガイドブック要らないくらいです。)には、「このお店のスタッフは話し好きでフレンドリー」とあったが、まさにそのとおり。「宮古は初めてですか?」など気さくに話しかけてくれる。でも、馴れ馴れしかったり、必要以上に踏み込んできたりすることはなく、程よい距離感で接してくれる感じの良い人達である。

こちらも調子に乗って道にさんざん迷った話をしたら、「宮古はわかりづらいですよね」と同情してくれたうえ、「帰りの道順書きましょうか?」と地図を持ってきて教えてくれる。他のスタッフにも確認しながら矢印を書きこんで、「これで大丈夫です!」と太鼓判。おかげさまで、帰りは迷わずに帰れました。

その親切な女性スタッフにオススメを聞きながら料理を選ぶ。このお店では、伝統的な沖縄料理と、沖縄料理をベースにした創作料理が両方楽しめる。私達が頼んだのは、

(お通し)
ラフテー
島ラッキョウのてんぷら
グルクンのから揚げ
ジーマミー豆腐の揚げ出し
海鮮苦菜バクダン
ゴーヤサラダ

の6品。さて、そのお味は・・・(つづく) 

宮古島回想記 その七

<二日目(つづき)>

今日の夜は平良市の中心部にご飯を食べに行くことにしていた。まだ夕食の時間には少し早いので、途中「砂山ビーチ」へ寄ってみることにする。

前にも書いたが、宮古は道がわかりにくい。標識の出方がとっても気まぐれだし、地図と実際の道のギャップがすごい。地図上はいかにも大きな道路みたいに出ていても、実際は私道じゃないか?っていうくらい細かったり。昔からの道が残っていて、グネグネと複雑に入り組んでいるところもある。

観光名所なのに、砂山ビーチへの行程にはこのすべてが当てはまっていた。手元の地図によると、砂山ビーチへ行くには主に2つの選択肢があった。見比べてみて、もう一つの経路の方が行きやすいんだろうなという予感はあったのだが、遠回りだったので、私たちは無謀にも「たぶん行きにくいんだろうな」という方で行ってみることに。

案の定・・・。

行き止まり、工事中なんかは序の口。なぜか元の道に戻っていることも。切り返すこと十数回。いつまでも博打みたいなことはやってられないので、救世主のように現れたオバアに尋ねてみることにした。近くの広場でゲートボールをしていて、ちょうど帰るところだったらしい。

「砂山ビーチは、あそこを曲がって、ずっと右のほうに走っていけばあるさァ」

よそ者の突然の質問にも嫌な顔一つせず教えてくれた。ありがとうございました。

オバアに教えられたとおりに進むと、立派な「砂山ビーチ」の案内板が見えてきた。いくら観光名所といったって、こんなにわかりにくいところにあるんだから閑散としているに違いないと思った次の瞬間、大型観光バスが目に飛び込んできて脱力した。こんな大型バスが走って来れるような、ちゃんとした経路もあったのね。

さて砂山ビーチ。その名のとおり真っ白なパウダーサンドの坂を上っていく。砂は本当にフカフカで気持ちがよく、みなさん素足で歩いていた。結構傾斜のきつい坂を上りきると、鮮やかな白と青のコントラストが目に入ってきた。ほーっと息をつく。こんなところで1日中本を読んだり、昼寝をしたりして過ごしてみたい。坂を越えないと辿り着くことができないだけに、周囲を小高い丘に囲まれたこのビーチはこじんまりとしており、落ち着いた時間が過ごせそうな気がする。

本当は波打ち際まで下っていきたかったのだが、道に迷っている間にお腹がすいてしまった私たちは坂の頂上で引き返すことにした(後で、有名な岩のアーチが下の方にあったことを知り悔やむのだが)。

幹線道路までは迷わず出られたのだが、その後、(幹線道路なのに)三叉路などで迷うこと数回、何とか西里通りに辿り着いた。目指すは「郷家(ごーや)」だ。